プロジェクト報告
| 2008.06.21-22. | 足尾・渡良瀬川地域探訪 田中正造の足跡を訪ねて |
田中正造の足跡を訪ねて
歴史・紀行プロジェクトが初めて企画したツアー「足尾・渡良瀬地域探訪-田中正造の足跡を訪ねて」は6月21-22日の両日、NPO会員なと16名の参加で実施された。梅雨の合間で、天候が心配されたが、2日間の全行程中は「晴れ時々曇り」という幸運に恵まれ、今でも鉱毒被害の残る佐野・足尾地域をつぶさに見て回ることができた。
1 日目の午前 8 時、JR京浜東北線・王子駅前に集合。8 時半に、26 人乗りマイクロバスに乗車、スタート。東北自動車道の佐野藤岡インターで、ツアーのガイド役を引き受けてくれた田中正造大学の坂原辰男事務局長と合流。午前中の探索地は足尾鉱毒事件で滅亡した谷中村跡と鉱毒問題を治水問題にすり替えるため国策で造成された渡良瀬遊水池。はじめに墓地を追われた谷中村村民の墓を集めた合同慰霊碑を訪ね、3300 ヘクタールの広大な葦原に分け入る。坂原氏の説明を受けながら 1時間ほどかけて、旧谷中村役場跡、雷電神社跡などを散策。田中正造のもとうたから出来た「谷中村一ツとや節」が紹介され、坂原氏の音頭で全員唱和。 次いで佐野市郷土博物館に向かう。そこで昼食を取り、正造の遺品などを集めた特別展示室を見学。有名な天皇直訴状が展示してある。執筆は幸徳秋水で、直訴の当日朝、正造が訂正加筆したという。博物館から至近距離にある正造終焉の地として知られる「庭田清四郎家」、仮葬を行った「雲竜寺」へと回る。堆積場決壊によって広範な農地一帯が鉱毒被害もりた
に見舞われた毛里田地区には「祈念鉱毒根絶の碑」が立つ。鉱毒被害に立ち上がった農民が鉱毒根絶期成同盟を結成、古河鉱業(当時)に補償金を要求し、勝ち取った祈念に立てた碑だ。この闘いを牽引した渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会の会長板橋明治さんから直接、当時の話が聞けた。80 才を超える高齢にも関わらず、鉱毒百年の闘いを分かりやすく説明していただいた。その後、銅山のある足尾地区に入り、午後 6 時半に宿泊地の国民宿舎「かじか荘」に到着。
2日目は鉱毒事件を発生させた中心地・足尾精錬所周辺と精錬所が出す煙害(亜硫酸ガス)によって廃村となった松木村跡など、渡良瀬川上流部の被害地域探索。午前 8 時半に「かじか荘」を出発、徒歩で中国人殉難烈士慰霊塔に参り、1954年に廃坑となった小滝坑跡、足尾朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑を回り、足尾市街を経由して渡良瀬川沿いに古河機械金属精錬所跡が聳える対岸に降り立つ。1884 年の操業開始以来、東洋一の銅山として栄え、渡良瀬川沿岸一帯に鉱毒を流し続けた元凶だ。1973 年の閉山で採鉱は中止されたが、輸入鉱の精錬は続き、操業の完全停止は1989年のこと。煙突、赤茶けた工場の鉄骨が剥き出しのまま、銅山の斜面に起立する姿に、ゾッとする。地域の墓石を集めた龍蔵寺のピラミッド型無縁塔や上流の足尾ダム、松木村跡、松木村堆積場を周回。真っ黒な銅精錬かす(カラミ)を山肌に積み上げた堆積場が目の前に迫った。みどりのない山は異様だ。
足尾で昼食を取り、銅山・資料館を見学。この頃から雨が降り始め、佐野藤岡インター経由で出発地の王子駅に戻ったのが午後 5 時。全員、元気な姿で解散。


