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会員からの通信

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銃後の憂に配慮した立川反戦ビラ最高裁判決
内田雅敏(立川反戦ビラ事件弁護人)
岩国の市長選挙から見えるもの、見たくないもの、見なければならないもの
白藤博行(専修大学法学部教授・地方自治法)
イタリアにおける「時間銀行」と「社会的連帯」の思想
専修大学法学部教授 内藤光博(憲法)
研究会報告:沖縄強制集団死の歴史認識を問う
沖縄研究会(第1回、渡名喜守太氏)報告から

銃後の憂に配慮した立川反戦ビラ最高裁判

内田雅敏(立川反戦ビラ事件弁護人

月11日、最高裁第二小法廷は、立川防衛庁(当時)宿舎イラク反戦ビラ入れ事件について、被告人大西章寛、高田幸美、大洞俊之らの各上告をいずれも棄却した。その結果、被告人ら3名に対して逆転有罪とした東京高裁の判決(罰金10〜20万円)が「確定」することになった。

最高裁において弁論がなされないままに判決期日の指定があったことから判決の結論は事前に予測されたものであった(高裁判決を変更する場合には弁論が開かれる)が、しかし、判決理由を見て驚いた。有罪の理由とされる被侵害法益について具体的に検討されておらず、何も書かれていないも同然であったからだ。

本件は陸上自衛隊のイラク派遣が近づいていた2004年1月に、立川において長年にわたって自衛隊基地の監視活動をして来た立川テント村のメンバーが「イラクに行くな、イラクで殺すな、殺されるな」「一緒に考えよう」といった自衛隊のイラク派遣に反対するビラを、立川市内にある防衛庁自衛隊宿舎のドアポストに入れた行為が「住居侵入罪」として逮捕・起訴されたものである。

■ 一審無罪判決の論理

一審の東京地裁八王子支部(長谷川憲一裁判長)は、住居侵入罪の構成要件該当性を認定しながらも、本件ビラの内容、ビラ配布のために建物内に入った人数、時間帯(日中なのか、早朝もしくは夜かなど)、滞留時間、ビラ配布の頻度、ビラ配布が居住者に与えた影響等々を具体的に検討し、「被告人らが立川宿舎に立ち入った動機は正当なものといえ、その態様も相当性を逸脱したものとはいえない。結果として生じた居住者及び管理者の法益の侵害も極めて軽微なものに過ぎない」「被告人らによるビラの投函自体は、憲法21条1項の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すものとして、同法22条1項により保障されると解される営業活動の一類型である商業的宣伝ビラの投函に比して、いわゆる優越的地位が認められている」として、「被告人らが立川宿舎に立ち入った行為は、法秩序全体の見地からして、刑事罰に処するに値する程度の違法性があるものとは認められないというべきである」と判示した。

この判決について新聞、テレビ等でも極めて妥当なものであるとして支持された。

■ 高裁逆転有罪判決と最高裁の追認

ところが、2005年12月9日、東京高裁は、「表現の自由が尊重されるべきものとしても、そのために他人の権利を侵害してよいことにはならない」と一般論を述べ、逆転有罪判決をなした。

最高裁第二小法廷判決は、高裁判決をそのまま踏襲し、「表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず、被告人らによるその政治的意見を記載したビラの配布は、表現の自由の行使ということができる。しかしながら、憲法21条1項も、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されないというべきである」と述べ、被告人らの上告を棄却した。

問題なのは、何をもって他人の権利に対する「不当な侵害」があったとするのかである。居住者からの「被害届」は警察が作成し、居住者のところに持って行って署名、印をもらって来たものであったことが公判廷で明らかとなった。

判決は表現の自由は憲法上保障された権利であると述べてはいるが、それは単なる枕詞として使われているにすぎない。

ところで、同判決は最高裁昭和59年12月18日、第三小法廷判決を引用しているが、この事案は吉祥寺駅構内で数名の者が同駅管理者より再三にわたる退去要求がなされたにもかかわらず、約20分間にわたってハンドマイクを使用してビラ配りをしたことが鉄道営業法35条および刑法130条により起訴され、有罪となったものであり、本件とは事案を全く異にするものであった。このように事案の異なる判例をそのまま引用して判決理由を「補強」しようとしていることには、驚きを禁じえない。

最高裁が考えることを放棄したとしか言いようがない。本件のような政府の政策を批判するビラ配布行為を住居侵入罪に問うということ自体が住居侵入罪の目的外使用である。

■ 住居侵入罪の目的外使用  言論の弾圧

戦前にも住居侵入罪の目的外使用がなされるケースがあった。それは妻が「姦通」をした事件に関してである。戦前、刑法では姦通罪では女性だけが罰せられ、男性は罰せられなかった。そこで、住居侵入罪、つまり戦地にいる夫(住居の管理権者)の意思に反して住居に立ち入ったとして姦通した男性を住居侵入罪で処罰したのである。戦地にいる兵の銃後の憂をなくすために男性の処罰が不可欠であったのだ。

本件自衛隊イラク派遣反対のビラ配布を、住居侵入罪の目的外使用によって処罰しようとするのも同じく銃後の憂をなくすためではなかったか。

昨今、プリンスホテル日教組教研集会会場賃貸借の一方的解約、映画「靖国」の上映中止問題など憲法の保障する表現の自由の根幹を揺るがすような事態が相次いで発生している。いずれも右翼の抗議というよりも街宣車による威力業務妨害のおそれを理由とするものであるが、深刻なのは、このような抗議が現実になされる前にホテル側あるいは映画館側が自ら「自粛」をしてしまうことである。時代の「空気」を読むということがいわれる。しかし「空気」を読むという行為自体が、実はその「空気」を増幅させていることに気付くべきである。

最高裁にある三つの小法廷は、各5名構成であるところ、第二小法定は長官所属で彼が抜けるため常に4名で審理を行うことになっていた。それが本件では検察官出身の古田裁判官が検察官時代に本件事件捜査に関与したため、自ら「回避」したために、結局残る3名で審理、判断がなされた。

民主主義社会の根幹をなす表現の自由の保障の破壊がわずか3名の裁判官によってなされたのである。(2008年4月11日)

【資料】2005年12月9日・高裁逆転判決後のマスコミ各社の社説(12月10日朝刊)

朝日新聞
「今回の有罪判決が表現の自由を閉ざす方向に働かないか、心配だ」

東京新聞
「こうした微罪逮捕を司法がチェックできなければ、自由であるべき政治活動や市民運動が委縮する」

神奈川新聞
「被告は最高裁に上告した。最高裁が自由と人権、憲法の擁護者の責任を果たすことを期待したい。また、警察、検察に対する国民の厳しい監視も必要である」

北海道新聞
「民主的な社会は、自由に発言し、表現する権利の上に成り立つ。形式論でその大事な権利を否定することは、社会の損失になる。そうした理解を欠いた逆転有罪判決は残念だ」

信濃毎日新聞
「被告の行為が住居侵入罪に当たるとしても、ビラ配りが目的である。盗みなど通常の犯罪と同列に扱うのは無理がある」

琉球新報
「表現・言論の自由を失えば、社会はろくな方向に向かわない。自由にモノが言えない、縮こまった社会など願い下げだ」

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岩国の市長選挙から見えるもの、見たくないもの、見なければならないもの

白藤博行(専修大学法学部教授・地方自治法)

■岩国は負けた」のか、「岩国は負けなかった」のか

米軍空母艦載機受け入れなどを争点とした岩国の市長選挙については、激しいデマ選挙宣伝ビラにもかかわらず「岩国は負けなかった」のか、それとも「魚の哲ちゃん」の漁船を沈めた自衛隊や少女暴行など蛮行を繰り返す米軍に物言わぬ政府に「岩国は負けた」のか、議論のありうるところである。しかし、米海兵隊岩国基地への空母艦載機移駐問題状況は劇的に変化し、新市長の「容認」表明に続いて、「空母艦載機等の移駐問題対策検討プロジェクトチーム」の設置など具体化は急速に進んでいる。この現実は、岩国の未来をどこに導くのだろうか。外にいるものからすれば、いみじくも容認派の「岩国の未来を拓く会」の前市長宛ての要望書さえ、「国の安全保障に過去70年間貢献しながら発展していない、稀有な貧窮都市です」と自白しなければならなかった岩国の歴史からして、さらに基地拡充を受け入れる岩国には未来があるとは思えないのだが、基地の受け入れを余儀なくさせ、岩国市・岩国市民を呪縛する法の仕組み、財政の仕組みがあることも忘れてはならない。

■要は金の問題なのか~「再編交付金」の仕組みと落とし穴

新聞報道によれば、新市長は、「地元の負担と協力に見合うだけの財政的な支援も得られるよう国と交渉する」として、防衛省が凍結した約35億円の市庁舎建設補助金や、米軍再編への協力に応じて配分される「再編交付金」の獲得に全力を尽くす考えを強調したそうである。やはり、要は金の問題か、といいたくなる。

今回の事態が、SACO(Special Action Committee on Okinawa=沖縄に関する特別行動委員会)交付金の岩国への配分廃止から始まり、「駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法」、いわゆる「米軍再編推進法」にかかる補助金である「米軍再編交付金」絡みであることは周知の事実である。

この米軍再編推進法は、国会審議中から、「金が欲しかったら、この法律を早く通せ」と言わんばかりの法律だった。「再編関連特定防衛施設」を指定し(第4条)、これに関係する「再編関連特定周辺市町村」を指定し「再編関連特別事業」(公共用の施設の整備その他の住民の生活の利便性の向上及び産業の振興に寄与する事業であって、政令で定めるもの)を行わせ(第5条)、これに「再編交付金」(第6条)を交付する仕組みになっている。この「再編関連特別事業」(いわゆる対象事業)は、武力攻撃事態法・国民保護法にかかる措置事業、「防災に関する事業」、「住民の生活の安全の向上に関する事業」、「情報通信の高度化に関する事業」、「教育、スポーツ及び文化の振興に関する事業」、「福祉の増進及び医療の確保に関する事業」、「環境衛生の向上に関する事業」など、そしてそのほか「生活環境の整備に関する事業で防衛大臣が定めて告示するもの」 と、なんでもありの大盤振る舞いとなっている。第11条の公共事業関係では、「再編関連特定周辺市町村」には今まで以上の補助率上乗せが約束され、たいへん「甘~い話」となっている。そして事業の実施は、「駐留軍等再編関連振興会議」(議長=防衛大臣+総理大臣以外のすべての大臣が構成員)があたり、地元代表の参加は一切ないものとなっている。

川瀬光義「沖縄における米軍基地と自治体財政 ―「再編交付金」に至る病―」(自治労連研究機構・インフォメーション・サービス NO.79)は、基地を取り巻く日本の病、沖縄の病を明らかにしている。沖縄を例にして、「基地は金になる」という現実と企てが基地自治体と住民をがんじがらめにしてゆく仕組みが解き明かされる。原発立地自治体と比べても基地関連収入の「優遇度」は突出しており、いわゆる周辺整備法収入以外の基地交付金、財政運用収入、その他の収入は一般財源として入ってくるところに「おいしさ」がある。沖縄には、「基地交付金は掴み金」という現実や、一貫して値上げされる「軍用地料」中毒にならない方がおかしいと思われる実態がある。とくに近時の名護市の例を見ると、まさに補助金・基地交付金の「山分け」構造が露になり、「分権」よりも「分金」の実態である。「金がないから、基地を受け入れてでも財政を何とかしよう」というような「沖縄病」が、岩国へ伝播して、市議会議員とその取り巻きたちを汚染したのだろうかと思わされる。

「財政散布と依存の帰結としての『再編推進法』 」であり、政府は、「これぐらいの金でこいつらは言うことをきくのだから断らないだろうと居丈高な状況になって」おり、政府が基地建設とセットで売り出している「新商品」は、「いったん受け取ったら断る余地がほとんどなく、半永久的に基地を引き受けることになる」「食い逃げ不可能な米軍再編交付金」であるという川瀬の警告に耳を傾けなければならない。

■岩国問題には、「地方分権」の基本問題が見える

選挙戦中、「国の防衛政策に地方自治体が異議を挟むべきではない」という橋下府知事の発言が取り上げられた。憲法・地方自治法知らずのとんでもない発言であるが、この発言は国と地方の役割分担にかかる「地方分権改革」の肝問題にかかわるものである。岩国では、国は「国民の安全保障政策」推進の役割を担い、自治体は「住民の福祉増進」の役割を担うという役割分担論が容認派によって高唱された。これは、「国の安全施策に対する高度な判断」の尊重という大義名分のもとで住民は黙れという意味なのか。いまそこにある基地問題は、住民にとってもっとも身近な問題ではないのか。このような論理が許されるなら、この間の「地方分権改革」とはいったいなんだったのか。団体自治の根幹が問われるところである。

岩国市議会は前市長に対して、「国民の安全に対する地元の貢献に報いる配慮として、国が用意する地域振興策を導入」させることを目的としての「更なる理解と協力を得る不断の努力」を求めた。「在日米軍再編問題に現実的な対応をとるように求める決議」では、「市民のための窮状打開」あるいは「現実的な対応」を求めた。市議会のいう「現実的な対応」とはいったいなんなのかが問題である。とどのつまり自己の目先の利益や身近な「周辺支持者」の利益を追求する議員とはいったい何者なのか。岩国市民は、いつまでそのような議員を選び、そして首長までも選び続けるつもりなのか。住民自治の根幹が問われるところである。

■「未来への地方自治」

やみくもの「規制緩和政策(新自由主義政策・市場化政策)」や「地方自治なき地方分権政策」によって、「国民の貧困」や「自治体の貧困」が意図的に生産・再生産され続け、「人間の格差」や「自治体の格差」が当たり前の世の中になっている。そしてそれを回避あるいは緩和する名目で、国民や住民の「貧」につけ込む政治が横行している。こともあろうに国民の安全を守るべき防衛政策が、「貧すれば貪する人々」を狙い撃ちして、国民の安全を脅かしている。このような意味でわれわれは地方自治の危機に瀕している。地方自治が消えて喜ぶ者に、地方自治という船のオールをまかせてはならない。「未来への地方自治」のために。

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イタリアにおける「時間銀行」と「社会的連帯」の思想

専修大学法学部教授 内藤光博(憲法)

1.はじめに

今日本では、家族関係の希薄化、児童虐待や家庭内暴力、若者の引きこもりや不登校など、「個人の社会的孤立」の問題が深刻化している。

また、高齢化社会の到来を迎えて、年金生活に入った後の高齢者の生活問題や「社会的孤立」の問題が注目を集めている。この問題は、経済的な側面から論じられがちだが、高齢者が生活するためには経済的側面だけが問題なのではない。他者に、必要な労働やサービスを受けることができれば、社会と切断され、社会的に孤立しがちな高齢者にとっては精神的にも肉体的にも大きな助けとなろう。

その打開策を考えるにあたり、イタリアの「時間銀行(Banca del Tempo)」の仕組みが、大きな示唆を与えてくれる。

2.「時間銀行」とは何か

「時間銀行」とは、簡単に言うと、銀行にお金を貯金するように、特定の組織に時間を預け、それを引き出して使うことのできる社会システムのことである。

「時間銀行」の預金者は、次のように利用する。時間の余裕がある時に、他人のためのボランティア活動を行った時間を「時間銀行」に「貯蓄」しておき、後で自分が他人の労働が必要になった時、その「時間」を引き出し、他人の労働(サービス)という形で、時間を返してもらうのである。たとえば、マリアがボランティアでアンナの子どものベビーシッターを3時間行ったとする。マリアは、その3時間を「時間銀行」に預け、「預金通帳」に記載される。後にマリアは、その3時間の時間をおろして、同じ時間銀行の預金者であるジョバンニに、3時間の庭仕事を頼むことができる。

この「時間銀行」は、90年代の初めに、イタリア北部・エミリア・ロマーニャ州のパルマ市在住の女性たちのグループによってはじめて作られた。その後、「時間銀行」の考え方は、イタリア国内に大きな影響を与え、コムーネ(Comune、市町村)をはじめ、多くの社会的協同組合や民間のグループによって「時間銀行」が開設されている。イタリア国内では、95年末には5つであったものが、96年には70と急速に増え、現在までに220以上もの「時間銀行」が作られ、さらに増加しつつある。

3.「時間銀行」と「社会的共同体」の再構築

イタリアの「時間銀行」は、しばしば、英語圏や北欧などで導入されているLocal Exchange Trading System(地域交換取引制度、略称:LETS)と比較される。LETSは、地域貨幣を用いたり、モノやサービス自体の交換方式を用いたりする地域的経済システムのことである。LETSは、地域貨幣や一種の物々交換などにより、経済的取引が行われる。この制度の下では、交換されたモノやサービスの価値は、市場における経済的価値と結びついている。たとえば、イギリスにおいて、ベビーシッターの1時間が4ポンドであり、1時間の犬の散歩の労働が2ポンドであるとすると、LETSのもとでも、その価値は、それぞれ4貨幣価値であり、2貨幣価値である。このように、LETSにおける時間の価値は市場の価値と連動し、ベビーシッターの1時間と犬の散歩の1時間の価値は異なるのである。

これに対して、イタリアの「時間銀行」の考え方は、LETSとは異なり、経済的な必要性から出発したのではない。「時間銀行」は、時間というものは、ある人にとっては欠乏し、他の人にとっては余っているという事実から出発し、「時間」を媒介として、社会における人間関係を再構築し、強固にすることを目的として作られたのである。「時間銀行」で交換されるものは、時間であり、金銭は一切用いられない。

さらには、ある人が「時間銀行」に時間を預金した場合、その「時間」は長期的および継続的に社会的・地域的ネットワークの中で生かされることになる。

第1に、たとえばマリアが、ベビーシッターとして、アンナの子どもを3時間世話したとすれば、マリアの時間の預金は、アンナに対してのみ請求できるのではなく、「時間銀行」のすべての預金者に対して請求できることになる。つまり、イタリアの「時間銀行」の発想は、時間の交換の可能性を拡大し、経済市場における特定の個人間におけるカネやモノの交換の論理とは異なるものである。マリアが預金した3時間の時間は、それを引き出して、ジョバンニに3時間の犬の散歩を求めることにより受け取ることができる。また逆に、マリアに子どものベビーシッターをしてもらったアンナは、身寄りのない老人であるジャコモの世話をすることによって、借りた時間を返すことができる。

第2に、すべての預金者は平等であり、時間の価値も均一の価値を持つ。つまり、1時間の労働時間は、仕事の種類や質、行う者の年齢・学歴・社会的階層と関係なく1時間は1時間として同一の価値を持つ。したがって、高校生のベビーシッターの1時間の仕事の価値は、家庭教師の1時間の仕事の価値と同じである。

このように、市場原理とは異なる価値観に立つ「時間銀行」の思想は、「社会的ネットワーク(Reti di Socialita)」の構築を目指すものである。すなわち、「時間銀行」は、人々が時間を互いに融通しあうことを可能にすることにより、個人相互間の社会的関係をつくりあげ、強固にすることによって、現代社会が抱える「個人の社会孤独」の問題に対する救済手段として位置づけられ、高校生と老人、サラリーマンと職人など、さまざまな社会的立場の違いや男女の差異を超え、世代的断絶を克服し、経済的な自由市場のもとでは実現できない「社会的共同体」を再構築しようという点に、その開設の意図があるのである。

4.おわりに-「時間銀行」と「社会的連帯」の思想

イタリアにおける「時間銀行」は、「銀行」のアナロジーとして用いているとすれば、機能的には経済活動としての側面を持っていると見ることもできよう。またイタリアでは、南欧・南米諸国とともに、NPOや社会的協同組合など、社会的目的を実現する目的を持つ経済活動のことを「連帯経済(Economia Solidale)」と呼んでいるが、「時間銀行」もそうした「連帯経済」の一種と見ることもできよう。ただし、通常の「連帯経済」と異なる点は、その目的はあくまでも経済目的が主ではないということである。

こうした「時間銀行」の考え方の背景には、人々が相互に関わりを強固にしようとする「社会的連帯」という法思想(ないし社会思想)が背景にあるように思われる。イタリア共和国憲法は、基本原理として「共和国は、個人として、またその個性が発展する社会組織において、人間の不可侵の権利を承認し保障する。また共和国は、政治的、経済的および社会的な連帯の絶対的な義務の履行を求める」(第2条)と規定しており、「社会的連帯」の重要性を強調している。これを受け、「人間発達および市民の社会的統合をめざし、地域社会の一般的利益を追求することを目的」(1991年11月8日法律381号「社会的協同組合規則」)として設立される「社会的共同体」も、「時間銀行」の開設に大きな原動力となっている。「時間銀行」の思想の背景には、このような憲法原理や法思想・社会思想があることも忘れてはならないだろう。

イタリアにおける「時間銀行」の思想は、日本にも大いに参考になるものと思われる。日本でも、前述のように、「個人の社会的孤独」が大きな問題となっている。こうした問題の打開のために、「社会的共同体」の再構築が叫ばれているものの、その方策が見出せない状況にある。個人が時間を融通しあうことにより、「社会的連帯」を構築するという考え方は、「個人の尊重」を中心的価値として承認している日本国憲法の原理にも合致するものといえる。

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研究会報告:沖縄強制集団死の歴史認識を問う

沖縄研究会(第1回、渡名喜守太氏)報告から

●はじめに

運営委員会では、「新春の集い」に参加してコメント発言をされた渡名喜守太氏(正会員;沖縄国際大学非常勤講師、平和学)の問題提起を受けて、研究プロジェクトの中に「沖縄研究会」(企画委員=渡名喜会員)を設けることとし、その第1回を渡名喜報告「沖縄の歴史認識問題」として開催した(3月25日)。渡名喜氏には、「沖縄戦認識を問う 目取間・小林論争を中心に 1~5」(琉球新報08.1.7~1.15)および「ネオ日本ナショナリズムと沖縄」(NEWS LETTER2号掲載)がある。以下は、司会を担当した古川 純が報告・討論要旨をまとめたものである。なお、渡名喜報告の3日後の3月28日に「大江『沖縄ノート』裁判」の大阪地裁判決があり、元座間味島戦隊長および元渡嘉敷島戦隊長の遺族を原告として名誉毀損および出版差止めを求めた請求のすべてが棄却され大江健三郎氏・岩波書店側の勝訴となった。その要旨紹介は次頁に掲載するので、渡名喜報告と比較していただきたいと思う。なお沖縄タイムスの記者として新しい証言を取材し同紙に連載した「挑まれる沖縄戦」のなかの記事「命語い(ぬちがたい)」を再構成した謝花直美『証言 沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか』(岩波新書、08.2)があるので参照されたい。

●「集団自決」の用語問題―強制集団死へ

報告を始めるにあたり渡名喜氏は、一般に沖縄住民の「集団自決」といわれてきた用語の問題点を指摘して、その見直しを提起した。すなわち、「集団自決」には、住民の「自発的死」や「美化された死」のイメージがあるが、そもそも「自決」は日本では近代以降の用語であり、近世の武士は「自決」とは言わなかった。「自決」には「ある種の価値観に殉ずる死」「国家主義的価値観に殉ずる死」という自死を美化するイデオロギー的な意味が与えられている。防衛庁刊行の戦史叢書は「集団自決」の用語を用い、戦傷病者戦没者遺族援護法を慶良間諸島の「集団自決」住民にも適用をすることで住民が軍と雇用関係にあったという擬制や自死によって積極的に「国」に協力したというイメージを定着させた。従って日本軍が命令ないし関与した沖縄住民の死は、「強制集団死」と言い直すべきである。

●書き換えの流れと歴史修正主義

旧日本軍による沖縄住民の強制集団死を共同体の「同調圧力」により「集団自決」したと書き換える流れは、1973年の曽野綾子『ある神話の背景』が渡嘉敷島の強制集団死事件について住民の「集団自決」として日本軍を擁護したことに始まる。1985年には太田(『鉄の暴風』の著者の一人)・曽野論争があり、住民が自死したり肉親を殺して「自発的な殉国死」とするに際して使用した手榴弾はそもそも日本軍の武器であって日本軍の部隊長の許可なくして武器が住民の手に渡るはずがない、という軍命令や軍関与の論点が提起され、また1988年には家永教科書裁判沖縄出張法廷で曽野の渡嘉敷島取材の欠落部分が明らかにされたりなど、曽野の記述の根拠が崩されるにいたった。しかし2000年代に入り宮城晴美『母の遺したもの』(2000)で座間味島の強制集団死事件について梅澤隊長はその後「自決命令を発していない」と述べたという新証言(晴美の母の宮城初枝が手記を訂正)が公表されるなどの状況の変化があると、2003年の有事3法成立を機に小林よしのりが「沖縄戦神話の背景」を書き、曽野が慶良間の強制集団死事件取材に着手するとともに、2005年には歴史修正主義の自由主義史観研究会が「沖縄プロジェクト」を立ち上げて大江裁判原告(座間味の梅澤戦隊長・渡嘉敷の赤松戦隊長の遺族)に協力することになった。

●なぜ強制集団死が狙われるのか

「集団自決」論者に共通するのは、強制集団死を住民の自発的死として日本軍の命令や強制を抹消して日本軍を免責し、さらには殉国美談化して軍隊嫌悪を払拭すること(軍民一体化協力体制)がある。その背後には、日本軍の名誉回復を通して日本国家・民族の名誉回復を行おうとする意図がある。日本軍の加害行為を抹殺する点では、南京大虐殺や「従軍慰安婦」問題と根は同じであり、彼らの用語で言えば「三大自虐史観」を否定するということになるだろう。沖縄に対しては、強制集団死の殉国美談化で住民を懐柔し日本に統合することを通して沖縄の「反日的感情」を払拭するとともに、強制集団死の実像を追及する沖縄マスコミに「反日的感情」の責任を転嫁するものである。曽野の手法は、住民の死を自発的死・殉国死とし、死の原因を共同体の圧力(「同調圧力」)・家族愛に帰着させて日本軍を免責すること、および沖縄の住民とマスメディアを分断することである。また、近年の歴史修正主義の手法は、曽野の著書(渡嘉敷)と宮城の著書(座間味)に依拠しつつ両者を混同一般化すること、および南京大虐殺や「従軍慰安婦」問題と同様であるが問題を直接的な軍命の有無に矮小化することである。

●今後の運動の方向(日本軍の法的責任追及と加害者処罰の問題提起)

渡名喜氏は、沖縄強制集団死の書き換え問題は何故繰り返し起こるのか、という根本問題を検討した結果、重大人権侵害問題に関する「ファン・ボーベン報告」(性奴隷・「慰安婦」問題に関する国連人権小委員会特別報告)にヒントを得て「加害者の処罰」が必要であるとした。強制集団死の原因には、沖縄住民に対する日本軍の「スパイ視」(ハワイへの沖縄移民が多いこと、言語の問題から後方撹乱を恐れたことなど)がある。沖縄住民の強制集団死に関して日本軍の法的責任を問い加害行為責任者を処罰する理論的法制度的根拠として、沖縄戦当時形式的には戒厳宣告はないものの実質的には国内戦場として「合囲状態」にあったことを前提に、軍司令官や戦隊長の越権行為および住民虐殺行為に陸軍刑法を適用し、またハーグ条約などの戦時国際法の適用や上官責任を問うことをあげる。

●大江「沖縄ノート」裁判大阪地裁勝訴判決(08.3.28)の要旨

1.大江『沖縄ノート』等の本件各書籍は「公共の利害に関する事実」にかかわり「もっぱら公益を図る目的」で出版されたものと認められる。

2.原告らは梅澤命令・赤松命令説を「ねつ造」と主張するが経緯からして認めることはできない。

3.座間味島および渡嘉敷島では「集団自決」に手榴弾が利用されたが多くの体験者は日本軍兵士から自決用に交付されたと語っていること、沖縄で「集団自決」が発生したすべての場所に日本軍が駐屯しており駐屯しなかった前島では「集団自決」は発生しなかったことなどの事実を踏まえると、「集団自決」に日本軍が深くかかわったものと認められる。「集団自決」に梅澤および赤松が関与したことは十分に推認できるが、自決命令の伝達経路等が判然としないため自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じえない。

4.自決命令を発したことを直ちに真実であると断定できないとしても、その事実については合理的資料もしくは根拠があると評価できるから、被告らが各記述を真実であると信じるについて相当の理由があったものと認めるのが相当であり、名誉毀損は成立せず損害賠償および出版差し止め請求は理由がない。
(請求棄却;原告控訴)

〔大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会HPによる〕

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